時間遡行者の行く末は

 (※この記事にはネタバレ要素があります、ご注意ください) 

 たまにはSFチックな話題でも書いてみたいと思います。

 こちらの三作品(アニメ版ね)の共通点は何でしょうか。残酷な描写? ……惜しい!

 それももちろんですが、今回は「タイムリープ」に着目します。

 「ひぐらしのなく頃に」では古手梨花が、「Steins;Gate」では岡部倫太郎が、「まどか☆マギカ」では暁美ほむらが、それぞれ作中で時間を遡行しています。

 遡行に至る動機は、バラバラのように見えて、一緒です。雛見沢大災害(梨花)、椎名まゆり死亡・ディストピア化(岡部)、まどかの死亡(ほむら)……遡行者から見て、とても耐え難い、絶望の淵に投げ込まれるところで、もう一度の希望を過去に託して、巻き戻す。

 この三人の心境は、我ら現実の人間が察しきることはできません。現代技術ではタイムマシンなどはもちろんなく、実際に遡行してはリトライを繰り返した人の心理分析エビデンスなどあるわけないからです。

 しかし、疑似体験ならできます。これはかなり身近です。PS3でもWiiでもDSでもいいのですが、昔から「ゲームのリトライはゲームならではだよね」と言われてきました。筆者もその昔、N64マリオカートのタイムアタックを何度もリトライしたことがありますが、それがちょっとだけ参考になります。

 「未来を変えたい」想いで行う時間遡行の場合、(とりあえずリトライできることに気づいているのが前提として)、まず遡行者がやることは、おそらく5~10回ぐらい、あの手この手を使って積極的に試行錯誤し、未来が変わるかどうか見ることでしょう。ここで変われば作中の人物としてはハッピーなのですが、梨花も岡部もほむらも、どんな手を尽くそうと、結局同じか、似たような、嘆きの結果が待っていました。

 ゲームであれば、ここで電源OFFするところですが、こちらの方々にとっては電源OFF=死 です。死んでしまった方がよい、とご本人達も考えたことがあるかもしれません。でも、なぜ、死という道ではなく、再び時間遡行してやり直す道を選ぶことができたのでしょう。

 これに対する問いを、かのQBさんが鋭く答えています。

「彼女がまだ、希望を求めているからさ。いざとなれば、この時間軸もまた無為にして、ほむらは戦い続けるだろう。何度でも性懲りもなく、この無意味な連鎖を繰り返すんだろうね。最早今の彼女にとって、立ち止まることと、諦めることは同義だ」
「何もかもが無駄だった、と――決してまどかの運命を変えられないと確信したその瞬間に、暁美ほむらは絶望に負けて、グリーフシードへと変わるだろう」

 他の2人に当てはまるでしょうか。岡部は何度もまゆりの死にぶち当たりますが、牧瀬紅莉栖の助言もあり、まゆりの死は1日ずつ延びていきます。岡部自身は他の葛藤もあり、やや抑うつ気味になっていきますが、一方で、少しずつの希望も積み重なっていったはずです。

 梨花はちょっと事情が複雑です。繰り返してきた分は100年分と、遡行者としてのキャリアが半端ありません。ところが、だんだん巻き戻せる時間が少なくなった(力が弱くなった)ことで、並行して絶望や諦めが強くなりました。それでも、前原圭一の出現と彼の行動によって希望を取り戻し、運命は打ち砕けるのではないか、と、いつの間に傍観者になっていた立場を翻したのが、古手梨花、その人です。

 こうして考えてみると、3人とも、案外、危ない橋を渡っていることになります。一歩間違えば、梨花は無気力、岡部は抑うつ、ほむらは絶望……未来を変えるぐらい、強い意志をもった時間遡行は、繰り返せば繰り返すほど、着実にその本人へ心理的ダメージを喰らわせるようです。

 ところで、Steins;GateのOP曲「Hacking to the Gate」に、こんな一節があります。

だからいま 1秒ごとに 世界線を超えて
君のその笑顔 守りたいのさ
そしてまた 悲しみの無い
時間のループへと 飲み込まれてゆく 孤独の観測者

  時間を遡行した3人は、みな、割と孤独でした。でもどうでしょう。運命を変える最後の一歩を踏み出した、そのときは「孤独の観測者」だったのでしょうか。

 否。少なくとも、梨花には前原圭一が、岡部には牧瀬紅莉栖が、ほむらには鹿目まどかが居ました。他人との絆、これがタイムリープモノに埋め込まれた隠し味であり、作品が現代日本に発した声なき声なのかもしれません。