「我が父の参政観」について考える
ガキのころ、両親と選挙会場に行ったときの話(正確にはくっ付いていったのだけど)。父が、こんなことを言っていた。
「誰に(票を)入れたか、そういうのは人に言ってはいけません」(話①)
(→支持政党とか黙っておくのだよね?)
「大人になったら、選挙にはぜったい行くこと!」(話②)
(→特に疑問はありませんことよ)
当時の自分は、そういうものなんだなと思っていたが、この歳になって考え直すと、実に深い意味に拡張できることに気付いてしまったのである。
我が国の公式な選挙では「選挙の4原則」を遵守する・される規則で行われている。
- 普通選挙
- 平等選挙
- 秘密選挙
- 直接選挙
ガキだった私自身が、"まあ関係があるだろう"と思っていたのは、3の"秘密選挙"であった。だが、果たしてそれだけなのだろうか。
違う。薄くはあるが、秘密選挙以外にも絡んでいる。
最近になって気が付いたエピソードも追加して、分析を加速させてみる。
- 父は、話①に準じて支持している政治家は全く言わない。断固として言わない。その代わり、支持していない政治家に対しての批判は積極的だし、しばしば熱くなる。
- 話②「選挙には必ず行け」に付随。誰に入れてもいい、空票でも、自分の名前を書いてもいいから行きなさい、といった主張。"行くこと"が大事だという。
- 選挙のたびに、無関心な母が不満げに言う「誰に入れたらいいか分かんないんだよね-、ジジイに聞いても教えてくれないしー」
まだまだエピソードは尽きないものの、もうだいたい見えてきたぞ、父の根幹にあるもの。
- 選挙は必ず行くものです。
- 流されることのない、自分の意志を持ちなさい。
- だから、誰に入れたらいいかとか、少なくともボクはアドバイスしません。
だって、流されることになるでしょう。そして、キミの入れる票じゃなくなるね。
(でも本当は、ボク、批判だけじゃなくて支持も言いたいんだよなあ…)
鋭い方ならお気づきの通り、1 は 普通選挙・直接選挙の原則、2 と 3 で平等選挙の原則を間接的にうすーく、遵守、布教(?)していることにならないこともないのです。4つの原則、オールクリアです。
家庭内ではちょっと頼りない我が父ですが、この記事を書いている間にも、ますます「すごい人のもとに生まれたものだなあ」と嬉しくなってしまいました。政治に無関心な母もいるから、問題点も容易に見えてきて、逆にナイス。
ここから先は余談ですが、「選挙に行かないということはどういうことか」について考えたことがあります。辿り着いたゴールは単純で、それは "今後どうなっても、私は文句を言いません" 。例えば、いざ税率変更、いざ各種法律改正、となって自分に不利益が回ってきても、文句はいえない。厳密には違うけど、選挙権を投げ出すことは参政権(政治に参加する権利)を投げ出すことだもの。
自分の選挙区に任せられる人が居なければ、空票や「信任者なし」で提出してよいのです。これも「流されない自分の意見」。日本国憲法第15条にも、「選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。」と心強い規定もあります。行ったことない成人の方、今からでも大丈夫、どんどん行きましょうよ。
私も、子が大人になったとき、「ああ、あのジジイが言ってたのはそういうことか」みたいな、味わい深いオヤジになりたいものです。(オヤジどころか、今のところ結婚の予定すらありませんが……)